ホーイ!サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしていて
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SecondLifeっていう仮想空間の事を書いているように見せかけて、ただの日記。
脳内ストリップショー。別名チラ裏。

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■ホーイ サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしていて
2014.03.28 Friday
どこまでも行こう この荒野をぬけ
緑に輝く あの丘まで
ホーイ サボテン 緑の光
バントラインと僕を照らしていて

(サボテンとバントライン / 筋肉少女帯)


このブログのタイトルにもなっている曲です。
暗いけどよい曲。
私も友達は多い方ではありません。むしろいない。
そういう自分は人としてどこか欠陥があるのではないかなと思うこともありますが、
それでも人ときちんと深く縁が結べたという経験はあるので、まあよいのでしょう。

長く長く続く友達というものに憧れます。
幼なじみとか。そういうの。

幼なじみというような人は残念ながらおらず、
子供の頃に近くにいたお友達はおとなになってみたらそばにいるには色々と難しい感じになっている。

何年か前、中学の友達なんて相手にしないというような事を私が言っていた、
という噂が同級生の間に流れたという話を聞かされたのですが、
実際のところそんなものを語るような同級生さえいなかったよ。私にはね。


ごきげんよう、たいこです。


とはいえ今の自分の感じに不満があるわけでもなく。
自分は自分のやり方で自分の周囲の人と精一杯関わっているのでした。

一緒にいる人とは同じ価値観を持っていないと成り立たない。
ある程度のベースが似ていないと、言葉をかわすことが出来ない。
それは今の私が痛切に感じているところです。
前述の話を聞かせてくれた同級生は、中学時代の私を「無理して周りに合わせているように見えた」
と語っていました。私に自覚などなかったのですけれどもね。
けれども、この歳になってみて納得するところはあったりなかったり。
変な人ってことなのでしょう。認めたくないけれども。




すごく書くのが遅れたのだけれど、土曜日にお芝居を観てきました。
ねずみの三銃士 万獣こわい」というやつを。
ねずみの三銃士とは、古田新太、生瀬勝久、池田成志というおっさん俳優3人組の事。
まあ、非常に演技のうまいおっさんたちです。大好きだ。
古田新太、生瀬勝久あたりはご存知の方も多いと思います。池田成志は知らない人も多そう。
でも池田さんは本当によい俳優さんなのです。もう大好き。
このお芝居、脚本は宮藤官九郎、演出が河原雅彦という本当に素敵すぎるラインナップで、
チケットとってからずっと楽しみにしていたものでございました。

いやあ、よかった。
面白いんだけど気持ち悪くて怖い脚本にさらに輪をかけたような演出。
たまたま1回の例外が、徐々に例外でなくなっていくというようなセリフがありましたが
まさにそういうお芝居でした。

良くも悪くも人っていうのは環境に慣れていく生き物で、
それは生きていくために必要な能力ではあるのだけれど、
それで普通とか当たり前とか常識とか、自分が今まで培ってきた価値観がぶっ壊れていく様は
見ていて本当に気持ち悪く怖いものでした。

そういうお話の本筋とは別に、常に絶妙なバランスで笑いどころがあったりなんだり。
その気持ち悪くて怖いものと笑いが同居しているあの感じがたまらなかったです。

このお芝居、全国を回るようなので興味のある方はぜひ、調べてみてください。




消費税とか年度末とかで世の中がとんでもない勢いで慌ただしいです。
私の働いているところでも、ちょっとした異常事態になっています。
それに拍車をかける形で、ちょっとびっくりするような組織改革があるとかないとか・・・・・・まじか。
これが吉と出るか凶と出るか、今のところまったく予想がつかないのですが、
自分を取り巻く環境がちょっと変わるかなあ、という気がしてきています。

世の中に変わらないものも終わらないものもない。
今いる環境が心地良ければ心地良いだけ、私達は変化を恐れる。勝手なもので。
私は今、変化することを恐れてはいないのでして、それは要するに今の環境に満足はしていないということ。
いい形のところでずっととどまっていたいとみんな思うけれど、そういう事はない。
なんだかやるせない話ではあります。
なんか主題とずれたきがする。




ごめんなさい。って言えることはすごく大事なことだと思う。
私は苦手です。
苦手だけれど、言います。たまに言えなくてあとでがっつり凹みます。
ああ可愛くないなあ、と思うのです。

なんだか冒頭の話とかぶってくるところが出てくるなあと思いながら思ったことをそのまま書いてみる。

私は一人ではきちんと生きてはいけない人間です。
もう、根っこが甘ったれで怠け者なので、叱ってくれたり頼ってくれたり、
心を通じ合わせる人が近くにいないと、どうも人としての最低限のラインすら簡単に超えかねない。
それではだめだと思うので、ここ何年かなんとか一人でもちゃんとできる人になろうと努力はしているのですが
いかんせん自分に甘すぎてなかなか思うように行きません。
で、一人でちゃんとして生きているとたまに砂を噛んでいるようなどうしようもない気持ちになったりするのです。

人と深く関わることでにっちもさっちもいかない距離まで近づかざるをえないものっていうと、
家族とか恋人とか配偶者とか、そういうものになるのだと思うのですが、
とくに恋愛は恋愛というものを思い描いた時に想像される、楽しくてパァっとしたものだけでは成り立たない。
それと同じくらいしんどい思いも気まずい思いもするし、傷つきもするのです。
そしてその苦い経験と時間の積み重ねこそが、その大切な誰かとの絆を作っていくものだと思っています。

適度に距離をおいてどろどろとかぐちゃぐちゃとかを上手に隠して、
自分が傷つかない絶妙な立ち位置で人と関わりあう、そういうのは特技に分類される事だと思う。
時と場合によって、そういうものを使う事はとても大切だと思う。
けれども、どろどろぐちゃぐちゃとしてめっためったに傷つくような、
そういう経験がないと、自分はいい感じに輝けないとも思っている。
いっぱい悩んで不安になって、確かめて話し合ってその先の道を探る。
そういうのは面倒だしエネルギーも使うけれど、それが人と関わる醍醐味とも思います。

人には調子のいい時も悪い時もあって、そんなつもりはなくても傷つけてしまうこともあれば、
あたってしまう事だってある。
そういうものを自分に向けて出してくれる事は、しんどいけれども嬉しい事だ。
落ち着いてから、ごめんねって謝ってもらうことも、とてもうれしいことだ。

私はとっさの時にあまり機転がきかない。
本当に、ちょっとした一言でその場の空気を軽くしたり、一瞬でも気が紛れたり、
なんだかそういう技を私は持っていない事が「なんだかだめだめだなあ」と思ったりもする。
ヒトゴトならばなんだって出来てしまうのですけれどね、相手が大切なら大切なだけ、
自分の気持ちはどんどん当事者になっていく。
そうなった時に、びっくりするくらい機転がきかなくてちょっと反省してみたりなんだりするのです。

こういうことを何度か積み上げていくと、今まで見えなかった相手の事がわかるようになったりする。
それには時間が必要だ。
些細でも気になったことはきちんと相手に伝えるという丁寧さ、真面目さに私はすごくすごく感動したのでした。




なんだか支離滅裂!言いたいこと、思ったことが全然形にならない!

というわけで、いつも以上にチラシの裏になってしまった日記ですが、そういうこともあるということで。。。





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